キャニオン制作ではデザイン&写真を担当しています。
写真歴は高1の時からだから…17年か、無駄にキャリア長い(笑)
高校の時、はずみで写真部に入って、暗室に捧げた3年間…。
当時のフィルムが残ってますが、 多分300本強位あります(未現像も結構ある)。
自分でフィルムを巻いて、現像して、印画紙に焼いて
まさか、20年後フィルムがほとんど消えてデジタル一色になろうとは…。
という訳で、ちょっと前にデジタルリマスターしたものを。
下手くそなのはご愛嬌。
南京町’93 |
学園祭 '94 |
なんか今の嫁が写ってたり…。 |
ただ単に撮りまくってただけの3年間でしたが、
受験に集中するためしばしカメラを封印する事に。
そして、忘れもしない、センター試験を終えた翌々日に事件は起こる。
阪神大震災
幸いうちの家は揺れたなー程度でしたが、翌日テレビで様子を見て…唖然。
瞬間カメラの封印を解いて街に出たのを覚えてます(チャリで)。
今となっては貴重? な写真。
当日昼ころ、所々で火災 |
途方にくれる人々 |
この夜街は火の海に(さすがに家に帰った)。
しかし、火の手が収まった翌日に凝りもせず撮りに出かけてます。
鷹取商店街 |
菅原商店街 |
未知の世界 |
友達の家(全壊) |
友達 「起きたら1階なかってーん、笑うやろ!」って言葉が忘れられない。
この後一週間ほど、体育館で寝泊りして写真撮ってました。
そん時勝手に寝泊りしてたとこが今の嫁の実家(別に付き合ってない)、
人生って分からない。
「カメラさえあれば、誰とでも仲良くなれて、食いっぱぐれない。」
という悪しき習性はこの時身についたんだと思います。
ので、震災の印象は暗くなく、むしろ楽しかった印象だった。
けど…今当時の写真を見かえしてると「撮りやー、撮ってやー」と、
逆に大人に気を使われてた事に改めて気づきます。
あんな状況で「何撮っとんねん!」とは誰にも言われなかった。
自分はカメラ持った無邪気な子供に見られてたんだなーと。
あん時大人たちは立派だったな…と今更ながら感謝しつつ。
自分も窮地の時にそうでいられますように。
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