3.08.2011

リマスター ’95

Chan_Zです。

キャニオン制作ではデザイン&写真を担当しています。
写真歴は高1の時からだから…17年か、無駄にキャリア長い(笑)

高校の時、はずみで写真部に入って、暗室に捧げた3年間…。
当時のフィルムが残ってますが、 多分300本強位あります(未現像も結構ある)。
自分でフィルムを巻いて、現像して、印画紙に焼いて
まさか、20年後フィルムがほとんど消えてデジタル一色になろうとは…。

という訳で、ちょっと前にデジタルリマスターしたものを。
下手くそなのはご愛嬌。

南京町’93
学園祭 '94
なんか今の嫁が写ってたり…。


ただ単に撮りまくってただけの3年間でしたが、
受験に集中するためしばしカメラを封印する事に。
そして、忘れもしない、センター試験を終えた翌々日に事件は起こる。

阪神大震災

幸いうちの家は揺れたなー程度でしたが、翌日テレビで様子を見て…唖然。
瞬間カメラの封印を解いて街に出たのを覚えてます(チャリで)。
今となっては貴重? な写真。

当日昼ころ、所々で火災
途方にくれる人々
街中に響き渡るサイレン、怒号、迫る火の手「これは尋常じゃ無いな…」と感じた。
この夜街は火の海に(さすがに家に帰った)。

しかし、火の手が収まった翌日に凝りもせず撮りに出かけてます。
鷹取商店街 

菅原商店街
未知の世界
友達の家(全壊)

友達 「起きたら1階なかってーん、笑うやろ!」って言葉が忘れられない。
この後一週間ほど、体育館で寝泊りして写真撮ってました。
そん時勝手に寝泊りしてたとこが今の嫁の実家(別に付き合ってない)、
人生って分からない。


「カメラさえあれば、誰とでも仲良くなれて、食いっぱぐれない。」
という悪しき習性はこの時身についたんだと思います。

ので、震災の印象は暗くなく、むしろ楽しかった印象だった。
けど…今当時の写真を見かえしてると「撮りやー、撮ってやー」と、
逆に大人に気を使われてた事に改めて気づきます。

あんな状況で「何撮っとんねん!」とは誰にも言われなかった。
自分はカメラ持った無邪気な子供に見られてたんだなーと。

あん時大人たちは立派だったな…と今更ながら感謝しつつ。
自分も窮地の時にそうでいられますように。

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