3.24.2011

私的震災日記 01

震災より間もなく2週間。
未だ全容が分からず、安否確認ができていない方も大勢おられると思いますが。。。
記憶が薄れない内にブログに残そうと思います。

どんなテンションで書けばいいのか微妙ですが…
文字ばっかりですいません。。。



3月11日の金曜、午後3時前。
自分は原稿をスキャニングしている最中。
そんなに大きくはなかったものの、酔ってしまうほどかなり長い間揺れは続いた。

いつもの席に戻り「長かったな〜」的な会話をしつつネットで地震が起こった事を確認してみる。
T橋とテレビがおいてある3Fに移動し画面に食い入る。
この後テレビで何度も目にすることになる到底現実とは思えない映像。
2人は「うわ、うわ、うわわわわ〜」としか言葉が出ない。

ここから始まった自分と嫁さんとの長くて濃密な6日間。

嫁の両親は石巻市に住んでいる。
訪れた時にはいつも笑顔で本当に優しく迎えてくれる義父と義母。

すぐに嫁さんに電話して安否を聞いてみた。
けど「今、子ども達を“書き方”に連れて行ってるから、帰ったらテレビで見てみるわ〜」とまったくピンときていない。
確かに電話でいくら伝えようとも、想像を超えたあの光景を思い浮かべるには無理がある。

いつもより早めに帰宅して恐る恐るドアを開けてみると不安感山盛りの嫁さん。
やはり電話は不通で連絡は取れていないらしい。

嫁さんはあまり現実を認識できてない、いわゆる“曖昧な状態”。
石巻に両親がいることを知ってる人達が心配のメールや電話をくれている。
実家がどうなっているかとネットとテレビで出来る限り情報を探す。
この時点では津波が陸地のどこまで届いているのかということが一番欲しい情報だったと思う。
しかし、石巻の映像はまったく流れず、明け方になっても状況は変わらず。
少し寝ることにした。

寝ぼけながら見ていたテレビに石巻の映像が映った!

まだ眠っていた嫁さんを起こし画面に食い入る。
やっぱり石巻市も同じように瓦礫の山と化している。

嫁さんも見慣れた風景の変わり果てた様子をみてやっと現実を認識したようだ。
それからは嫁さんは立って歩くのがやっと。何もすることができない。。。

その日(12日、土曜)は朝から夜中、明け方までテレビ・パソコンをひたすら見続ける。
鬼ザッピングで石巻の映像を探し、石巻が出るたび両親が映ってないかと目を懲らす。
映し出される店舗や看板等を覚え、google mapのストリートビューで位置を確認、
状況を照らし合わせ点と点をつなげていく。。。





いったん切ります。
次回続けます。

たろきち

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