4.28.2011

私的震災日記 ファイナル





義母も無事であることがわかってひと安心。

嫁さんも当然、未だ声すら聞けてない両親に会いたがっていて、
物にも困っているだろうから金曜に出発して現地を目指すことにした(3回目w)。

木曜は普通に出勤。
両親に直接渡すようなものはこちらで用意。
それ以外、義母の施設、もしくは避難所へ持って届けようと思っていた物資集めを
前日、会社のみんなに協力を頼んでおいた。
毛布やカイロ、水やオムツ等々たくさん集めていただいたものを積んで帰宅。

そして準備。
明日はいよいよ出発だ。

気がかりは仕事が忙しかった事。
金曜はChan_Zが取材と撮影で一日不在のため、
自分が行ってしまうと制作現場にはaian一人。
ウチの会社の制作部は3人で出力・版下・デザイン制作・撮影、時には営業等々…
一人でも抜けるととたんにどたばたになってしまう。
それが一日中、たった一人でこなすとなると戦慄以外のなにものでもない。
容赦なく襲う急な出力、期日ぎりぎりの版下、電話、ご来客…

無条件ですべてをただ受け止めることしか許されない。
誰も助けてはくれないんだ。。。

あぁaian。
明日は死んでくれ。。。と思いながら眠る。

そして金曜朝。
嫁さんの携帯が鳴った。
両親だ。
初の生声。
電話が復旧したようだ。

無事を喜びながらも
石巻に向かおうということをメールで知っていた両親からは
「心配ないから来なくていい」と言われる。
「来てくれるのは涙出るほどうれしいが…
物もとりあえずは大丈夫だから。
それより何かあった時の事を心配する方がつらい。
チビ達のことも心配だ」と。
どうせ会うなら少し落ち着いてから楽しく会おうよ ということで
またも現地入り中止…

けど仕方ない。。。

急遽、出勤することにして会社へ向かった。

決死の覚悟でガチ出社してきたaianは張り詰めていた何かがブチ切れたようで余裕の塊に。
そんな空気に自分も惑わされw、二人で余裕ぶっこきながら一日こなすも、ぶっこきすぎで最後は地獄の追い込み。

そして、次の日からは日常の業務に戻っていった。。。
怒濤の一週間が終わった。





あの日から2ヶ月弱。
自分の中では確かに何かが変わった。
家族揃って暮らせることの幸せ。
贅沢はなくても普通に生活できることの幸せ。
無くなって初めて気付く事の大切さ。
そして…人との絆の大切さ。
本当にありがたい事だ。

震災後まつわる話は多々あり、様々な影響・議論を巻き起こしてますが
身近なところで思わぬ震災の影響…
●震災前までは仲の良かった俺の母親と嫁さんが、母のある一言により険悪に…
●以前はとても仲が良かった自分の母と母の姉(伯母)、3年間ほど絶縁状態(絶望的だった)が仲直り。


そして…
俺と嫁さんの絆は少し深まった…かな。。。www


願・被災地復興、甦れ日本!


追記
持っていくことができなかった物資は後日、
箕面市の物資受付へ届けました。

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